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覚書12. 二子山部屋稽古場と福岡市博物館

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先日、ひさしぶりに博多へ行く機会があった。福岡市博物館へは恥ずかしながらまだ行ったことがなかったため、とても楽しみにしていた。翌日は壱岐の原の辻遺跡へ行く予定で、この日は博物館とその近くにある元寇防塁を見学する予定だ。

博多駅に降り立つと雨が降っていた。気温は大阪よりもかなり涼しく感じた。荷物を宿に預けてから地下鉄に乗り、西へと移動した。西新(にしじん)の駅で降りて地上へ出ると、自宅に帰り着いたような気持ちになった。

今から28年前〜24年前、小学生だった僕はここに住んでいた。現在は地下鉄一号線が通っているこの道路の上には路面電車が走り、修猷館高校の煉瓦造りの外塀に沿って北へ歩くと、西南学院大学があり、その向こうには通学していた西新小学校があった。西新の街並みは、当時から比べると驚くほどの賑わいをみせている。子供の時分にはテントウムシの幼虫がいっぱいくっついていた修猷館高校の煉瓦造りの塀に沿って、かつての通学路を北へと進む。昔は浜からの風を感じながら歩いたものだが、いまは浜風よりも行き交う人の波を気遣いながら歩くべきだ。西南学院大学の敷地が24年前よりも広くなっているような気がする。幼稚園児のときになぜか通っていた英会話教室フレンドシップハウスの洒落た西洋風の建物もなくなっている。身に付くことのなかった僕の英会話能力とともに何処かへ行ってしまったようだ。西南学院大学のそばに西新小学校は現存していた。校舎は真新しい鉄筋コンクリートのものに建て替えられている。松林の中に佇む記憶の中の母校とはイメージが異なるが懐かしい。さらに道を北へと歩くと、東西方向に走る大きな道路へ出た。ここを左折すると福岡市博物館にたどり着くようだ。この東西方向に走る大きな道路は僕の記憶の中にはない。ここから北側は、広大な埋め立て地である。この埋め立て地には、博物館のほかに、図書館・福岡タワー・福岡ドームなどが集中している。西新地区の先進的な文教地区への発展を象徴する施設群だ。

24年前。貝殻がいっぱい入った西新小学校の校庭。その北側には松林が連なり、その松林の北側には博多湾を望む砂浜が広がっていた。百地(ももち)海岸だ。遊泳は禁止されていたが、そこかしこにある岩の陰には小さな蟹やヤドカリが隠れていて、子供達の絶好の遊び場だった。また、海岸には相撲の稽古小屋があって、大相撲九州場所のときには二子山部屋の力士が土俵上で組み合ったり、てっぽうを打ったりしていた。西新小学校の授業中、担任の先生がこっそりとクラスの生徒全員を引率して、砂浜での相撲の稽古を見に連れて行ってくれた思い出がある。土俵の脇へしゃがみ込み、土俵の俵近くへ不用意に手を出していた僕らをみて、「おい。ぼうず。危ないぞ」と声をかけてくれたのは、現在の二子山親方、大関 貴ノ花だった。稽古小屋の外では冷たい浜風が吹き、寒さしのぎの焚き火が用意されていたが、稽古小屋の中の「おすもうさん」達は体からもうもうと湯気を立てていた。

埋め立て地は綺麗に整備され、植樹された雨に濡れる木々に囲まれて、福岡市博物館は建っていた。2時間ほどかけて展示を観覧した。常設展示での古墳時代資料が思ったよりも少ないのが意外だった。韓国でみつかった新安沈船の模型や、その出土遺物レプリカを食い入るように観た後、近現代の展示映像を閲覧した。画面の中に路面電車が走り、路面電車廃止の際に走った花電車が出てくると思わず声を上げてしまった。ミュージアムショップで書籍類を購入した後、博物館を出て、西南学院大学体育館の裏手にある元寇の防塁へ足を運んだ。子供の頃に友達と遊んでいたそのままの状態で元寇防塁はそこにあった。

福岡市博物館
福岡市博物館
西新地区の元寇防塁
西新地区の元寇防塁

次に、文永の役の時に蒙古軍の陣地となっていた麁原山(そはらやま)を見に行くことにした。麁原山は海抜33mの低い小山で、子供の時に住んでいたアパートの近くにあり、父親とよく散歩に行ったものだ。西新から麁原山へ歩いていると、むかしニチイがあったところにおしゃれなショッピングセンターが出来ていてスターバックスコーヒーが入っていたり、僕らが住んでいた3階建ての社宅が取り壊されてカラスが集まる空き地になっていたり、友達のお父さんが営んでいた理髪店が見当たらなかったりと、街並みの変化はまことに著しい。だが、麁原山は24年前とほとんど変わらずにそこにあった。赤褐色の粘土層が露頭した麁原山の斜面を登ると、頂上に木製の簡単な展望台が作られていた。そこから眺めた西新の街は、24年前よりも明らかに活気づいてみえる。南の方角をみると、低い雲の間から油山(あぶらやま)の山並みが望めた。小学校低学年のとき、野芥(のけ)のほうに住む遠戚の叔父に連れられて油山の群集墳をみた。横穴式石室を指さして「むかしの人ば住みよったとね?」などと訊いていたように、まったく無知な少年だった。今から思えば、あの頃から考古学に興味を持ち始めてしまったのかもしれない。

麁原山 元寇戦跡
麁原山 元寇戦跡

地方博が博多湾岸の埋め立て地で開催され、福岡ドームが出来てダイエーホークスがここをホームグラウンドとし、福岡市の重要な公共施設が埋め立て地に集まってきて以来、西新界隈の発展は目を見張るものがある。ここを第二の故郷と思う僕としても非常に喜ばしい現況である。だが、発展と同時に多くの大切なものも失われてしまった。それは事実だ。百地浜から西へのびる風光明媚な海岸はもう無い。子供達が水辺の生き物と戯れ、相撲力士の汗が飛び散っていた砂浜はもう無い。西新出身の歌手 小柳ルミ子さんも帰郷したらこの変貌にさぞ驚くことだろう。いや、やっぱり、小柳ルミ子さんが帰郷したならば驚くのは西新の住民のかたがたのほうか・・(なんのこっちゃ)。ともあれ、西新の豊かな自然を犠牲にしてこれらの文化施設・公共施設は成り立っているのだから、今後とも盛大にこれらが活用され、福岡の文化に充分役立つことを心から願う次第である。

[登録:2001年06月12日]
おがみ大五郎


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